日本のゴルフの歴史は古く1901年にイギリス人貿易商アーサー・ヘスケス・グルームが六甲山にゴルフコースを作り日本でのゴルフの幕が開かれました。
当初は男性の職業として始まりましたが女性もゴルフを楽しむ機会がありました。
1905年には神戸ゴルフ倶楽部などのクラブで女性たちが趣味としてゴルフに親しんでいました。
日本の女性はゴルフに触れ続け婦人の競技大会なども開催されていました。
今回はそんな”日本女子ゴルフの歴史”を綴ってみたいと思います
戦前
三井栄子夫人
先駆者
三井栄子婦人は日本の女子ゴルフ界において先駆者として重要な役割を果たしました。
彼女は1930年代に活躍しその才能と情熱によって多くの人々に感銘を与えました。
才能
しかし三井婦人はそのような時代においてもその才能と情熱で群を抜いた存在でした。
彼女のゴルフスキルは非常に高くそのプレーは多くの人々を感動させました。
発展
大正時代の1924年日本ゴルフアソシエーション(後の日本ゴルフ協会)が設立され日本のゴルフ俱楽部をまとめる組織となりました。
その後日本初の国際対抗試合や日本オープンゴルフ選手権競技が開催されゴルフ界の発展に貢献しました。
戦時中は一時解散されましたが戦後に再結成されゴルフの普及に努めました。
戦後
男女平等思想
終戦後の日本では男女平等の思想が広まり様々な分野で女性の活躍が促進されました。
この流れはゴルフ界にも影響を与え女子ゴルフの活性化が始まりました。
神奈川県の相模カントリークラブで行われた日本婦人と米軍婦人の親善マッチは特に注目されました。
米軍夫人たちの自由なプレースタイルは日本婦人を圧倒し女性のゴルフへの関心を高めました。
荒川さつき
また1956年の関東女子ゴルフ選手権で女優の荒川さつきが優勝したことも話題となり女子ゴルフの盛り上がりに拍車をかけました。
生涯
荒川さつき(あらかわ さつき)は日本の女優であり1950年代から1960年代にかけて活躍しました。
熊本県出身です。
東京川村女学院を経て実践専門学校中退。
鎌倉在住の文豪たちによって行われた鎌倉カーニバルにおいてミス鎌倉に選ばれました。
1949年に大映に入社。
1950年映画”私は狙われている”で主役に抜擢されました。
1952年に新東宝に移籍。
1959年に東映入社。
1963年時点で東京俳優生活協同組合に所属。
彼女の功績は日本の女子ゴルフ界の歴史においても重要なものとして記憶されています。
篤志家
「篤志家(とくしか)」は社会や文化芸術などの分野において自らの財産や影響力を活かして慈善活動や文化の振興などに積極的に取り組む人々を指します。
彼らは個人的な理念や信念に基づき社会貢献や文化の発展に向けた活動を行います。
篤志家はしばしば富裕層や企業の創業家、文化人、芸術家などが含まれます。
篤志家は慈善事業や文化振興、教育支援、医療施設の設立など様々な分野において活動します。
彼らの支援は社会における不足している部分の補完や改善また新たな文化や芸術の創造などに寄与します。
篤志家の活動は社会全体の福祉や文化の豊かさに貢献することが期待されています。
篤志家・大倉喜七郎
大倉喜七郎(おおくら きしちろう)は日本の大倉財閥の2代目総帥であり慶応義塾大学出身で男爵でもありました。
彼は1882年(明治15年)6月16日に東京で生まれ1963年(昭和38年)2月2日に亡くなりました。
喜七郎は大倉財閥の創始者である大倉喜八郎の息子でありその事業を引き継ぎ大倉財閥の発展に努めました。
喜七郎は日本のホテル業界に大きな足跡を残しました。
彼は観光業の他にも文化事業にも積極的に取り組み日本の文化的レベルを向上させるために努力しました。
喜七郎は多彩な趣味人でもあり囲碁や音楽、舞踊、カーレースなどさまざまな分野で才能を発揮しました。
「バロン・オークラ」と呼ばれていました。
ホテルオークラ
まずホテルオークラは大倉財閥の一翼を担うべく喜七郎が創設したホテルです。
その後喜七郎はホテルオークラの設立に尽力し日本のホテル業界において大きな足跡を残しました。
川奈ホテル
川奈ホテルは喜七郎がゴルフの理想郷を実現するために設立したリゾートホテルです。
川奈ホテルは川奈ホテルゴルフコースを中心とした豊かな自然環境の中に位置しゴルフ愛好家やリゾート客に人気の高い場所となっています。
喜七郎は自らのビジョンを実現するため川奈の地にゴルフ場とホテルを創設し日本のゴルフリゾート文化の礎を築きました。
女子ゴルフへの貢献
そして女子ゴルフの振興においても喜七郎は重要な役割を果たしました。
彼は川奈ホテルをゴルフの拠点とし女子ゴルフの大会やトーナメントを積極的に支援しました。
またプロの育成にも力を入れゴルフの普及と発展に貢献しました。
彼の努力によって女子ゴルフは日本でも注目を集めるスポーツとなりました。
大倉喜七郎はホテルオークラと川奈ホテルの創設に関わる一方で女子ゴルフの振興にも大きな影響を与え日本の観光業とゴルフ文化の発展に貢献した偉大なリーダーでした。
女子ゴルフへ貢献された篤志家
こうした動きにより女子プロゴルフの地位や仕組みが整っていき女性選手たちの活躍の場が拡大していきました。
1960年代
1960年代日本女子ゴルフは大きな転換期を迎えました。
28名の行動
このイベントは後の日本女子プロゴルフ協会の発足につながる重要なきっかけとなりました。
協会内”女子部”
そして1968年には初めての日本女子プロゴルフ選手権大会が開催され天城GCで歴史的な一歩が踏み出されました。
同じく1968年には「TBS女子オープン」がTBS越谷GCで開催され日本女子オープンの前身となりました。
これらのイベントは日本女子ゴルフの成長と発展において重要な役割を果たしました。
1970年代
賞金女王
- 1968年 樋口 久子 350,000円/2回
- 1969年 樋口 久子 500,000円/2回
- 1970年 樋口 久子 1,215,000円/3回
- 1971年 樋口 久子 2,290,000円/4回
- 1972年 樋口 久子 4,150,000円/5回
- 1973年 樋口 久子 12,627,000円/7回
- 1974年 樋口 久子 15,545,700円/8回
- 1975年 樋口 久子 8,428,233円/1回
- 1976年 樋口 久子 14,667,000円/5回
- 1977年 大迫 たつ子 14,481,500円/4回
- 1978年 樋口 久子 11,664,650円/3回
- 1979年 樋口 久子 18,399,345円/5回
- 回数はその年の優勝回数です。
独立”日本女子プロゴルフ協会”
1974年日本女子プロゴルフの歴史において重要な節目が訪れました。
この独立は女子プロゴルファーたちがより独自の組織として活動し自らの競技を発展させるための重要な一歩でした。
樋口久子
そして3年後の1977年には日本女子プロゴルフの世界が国際舞台で躍進しました。
樋口久子選手が「全米女子プロゴルフ選手権」で優勝し日本女子プロゴルフの実力と存在感を示しました。
経歴
樋口久子選手の経歴をまとめると次のようになります
- 樋口久子は1968年に女子プロゴルフの2大メジャー大会である「日本女子プロゴルフ選手権大会」と「TBS女子オープン選手権」で優勝し23歳でプロテストに合格した第1期女子プロテスト合格者の1人となりました。
- 日本女子プロゴルフ選手権大会では連覇を含む9回の優勝を果たし日本女子オープンゴルフ選手権競技でも4連覇を含む8回の優勝を記録しました
- 1968年に女子プロゴルファー初の「賞金女王」に輝きました。その後も9年連続で賞金女王に輝き計11回の賞金女王になりました。
- 海外でも活躍し1974年にオーストラリアン女子オープン1976年にはコルゲートヨーロッパ女子オープンで優勝。1977年には全米女子プロゴルフ選手権で優勝しアジア人初のメジャー制覇を達成した。
- その後日本女子プロゴルフ協会の会長に就任し女子プロゴルフの発展に尽力。2003年には世界ゴルフ殿堂入りを果たし2011年には日本女子プロゴルフ協会の会長を退任し相談役に就任されました。
- JLPGAツアー勝利数「69」
樋口久子さんの偉業は日本女子ゴルフの歴史において永遠に記憶されるでしょう。
1980年代
賞金女王
- 1980年 大迫 たつ子 23,594,744円 3回
- 1981年 岡本 綾子 32,333,465円 8回
- 1982年 ト 阿玉 39,029,644円 9回
- 1983年 ト 阿玉 45,764,313円 9回
- 1984年 ト 阿玉 52,897,845円 7回
- 1985年 ト 阿玉 65,634,788円 7回
- 1986年 ト 阿玉 62,435,225円 9回
- 1987年 大迫 たつ子 56,763,481円 4回
- 1988年 吉川 なよ子 61,462,665円 5回
- 1989年 ト 阿玉 90,075,587円 5回
- 回数はその年の優勝回数です。
JLPGA
これにより組織の体制がより堅固なものとなり女子プロゴルファーたちの活動がより組織的になりました。
1988年には
これにより女子プロゴルファーたちがより充実した競技環境でプレーすることができるようになりました。
同じく1988年には正式にレッスン部委員会が設立されインストラクター資格認定制度が発足しました。
これによりゴルフ指導者の質が向上しより多くの人々がゴルフを楽しむための環境が整いました。
岡本綾子
同じ年岡本綾子選手が外国人選手として初めて米国ツアーで賞金女王に輝きました。
これは日本女子ゴルフ界における国際的な評価と影響力の一例であり日本女子プロゴルフの実力の高さを示すものでした。
経歴
岡本綾子さんは1951年に広島県で生まれソフトボールの選手として活躍した後ゴルフの世界に転身しました。
プロ
1973年にプロテストに合格し以後日本女子プロゴルフ界で頭角を現しました。
彼女は日本女子プロゴルフツアーで44回の優勝を果たし日本の女子ゴルフ界を代表する選手として知られています。
海外
さらに全米女子プロゴルフ協会(LPGA)のツアーにも参戦し17回の優勝を記録しました。
1987年にはアメリカ人以外の選手として初めてLPGAツアーの賞金女王に輝きその年の最優秀選手に選ばれるなど国際的な舞台でも大きな成功を収めました。
また彼女は1992年に日本女子プロゴルフ選手権を制覇し40歳を超えてもなお活躍を続けました。
レジェンド
ゴルフ界を引退した後も指導者として活動し後進の育成に尽力しています。
岡本綾子さんの功績は多岐にわたり、彼女の活躍は日本女子ゴルフの基盤を築き、世界的な成功を収めた先駆者として称賛されています。
ト阿玉
台湾出身のト阿玉はゴルフの世界で驚異的なキャリアを築きました。
出会い
中学卒業後彼女は台中の豊原CCでキャディーとして働きその後淡水GCに移り陳金獅プロの指導を受けながらゴルフの技術を磨きました。
プロ
1974年にプロ入りし日本女子ツアーで初優勝を果たし1981年にはJLPGAに正式入会しました。
特に1982年から1986年までの5年間は賞金女王の座を獲得し合計47回の勝利を挙げました。
彼女のプレースタイルは独特で最終日には上下ピンクのウェアを着用することが多く「ピンクパンサー」として知られていました。
1990年代前半には怪我による低迷期もありましたが2002年の再春館レディースで9年ぶりの優勝を果たし日本国内の勝利数が「69」樋口久子選手の最多記録に並びました。
永久シード
日本国内での勝利数は69に達しました。
彼女は男女を通じて唯一の海外外国人永久シード保持者としてJLPGAの歴史に名を刻んでいます。
- 69代: 大平正芳(第2次) 1979年11月~1980年6月
- 70代: 鈴木善幸 1980年7月~1982年11月
- 71代: 中曽根康弘(第1次) 1982年11月~1983年12月
- 72代: 中曽根康弘(第2次) 1983年12月~1986年7月
- 73代: 中曽根康弘(第3次) 1986年7月~1987年11月
- 74代: 竹下登 1987年11月~1989年6月
- 75代: 宇野宗佑 1989年6月~1989年8月
- 76代: 海部俊樹(第1次) 1989年8月~1990年2月
1990年代
- 1990年:高村 博美(62,576,087円/3回)
- 1991年:ト 阿玉(70,403,481円/2回)
- 1992年:塩谷 育代(57,799,649円/1回)
- 1993年:平瀬 真由美(81,474,399円/3回)
- 1994年:平瀬 真由美(69,817,958円/4回)
- 1995年:塩谷 育代(75,006,561円/5回)
- 1996年:福嶋 晃子(70,596,190円/2回)
- 1997年:福嶋 晃子(99,594,094円/6回)
- 1998年:服部 道子(81,570,823円/5回)
- 1999年:村口 史子(66,891,682円/3回)
- 回数はその年の優勝回数
- 国際舞台での活躍: 1990年代は日本女子ゴルフ選手が国際舞台での成功を収めた時代でした。岡本綾子や服部道子、日本のトッププレイヤーが海外でのツアーに参加し多くの勝利を挙げました。
- プロツアーの発展: 日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)は1990年代にプロツアーの拡大と発展を遂げました。新しいトーナメントが追加され賞金額も増加しました。またスポンサーシップの増加によりツアーの経済的な安定が図られました。
- 若手選手の台頭: 1990年代には若手の新人選手が次々と登場しました。彼らは従来のトッププレイヤーに挑戦し新たな競争を生み出しました。この時代に台頭した若手選手たちは後に日本女子ゴルフの中心的存在となりました。
- 国内外でのメジャー大会の参戦: 日本の女子プロゴルファーは1990年代にはますます国際的な舞台で競い合いました。彼らは日本国内のツアーだけでなく米国女子ツアーや他の国際的な大会にも参加し日本女子ゴルフの名声を高めました。
- ゴルフ界の技術革新: 1990年代にはゴルフクラブやボールなどの技術革新が進みました。スモール球の規格が廃止されラージ球の規格が導入されたことは、ゴルフのプレイスタイルにも影響を与えました。
1990年代は日本女子ゴルフの歴史上重要な時代でありその時代に活躍した選手たちは日本のゴルフ界に不朽の功績を残しました。
第75代:宇野宗佑(1989/6〜1989/8)
- 故美空ひばりに国民栄誉賞
- 参議院議員選挙で与野党逆転(1989)
第76代:海部俊樹(第1次)(1989/8〜1990/2)
- 東西冷戦の終結(1989)
- 初の大学入試センター試験実施(1990)
第77代:海部俊樹(第2次)(1990/2〜1991/11)
- 東西ドイツ統一(1990)
- 湾岸戦争勃発、バブル経済崩壊(1991)
第78代:宮沢喜一(1991/11〜1993/8)
- ソ連解体(1991)
- PKO国連平和維持活動協力法成立(1992)
第79代:細川護煕(1993/8〜1994/4)
- 非自民連立内閣発足、EU欧州連合成立(1993)
- 政治改革法成立(1994)
第80代:羽田孜(1994/4〜1994/6)
- 松本サリン事件、英・仏国間ユーロトンネル開通(1994)
第81代:村山富市(1994/6〜1996/1)
- 阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件(1995)
第82代:橋本龍太郎(第1次)(1996/1〜1996/11)
- 日米首脳会談「日米安全保障宣言」、包括的核実験禁止条約、民主党結成(1996)
第83代:橋本龍太郎(第2次)(1996/11〜1998/7)
- アイヌ文化振興法成立、香港が中国に返還、地球温暖化防止京都会議(1997)
第84代:小渕恵三(1998/7〜2000/4)
- EU単一通貨ユーロ導入、国旗・国歌法成立(1999)
- 東海村ウラン臨界事故(1999)
2000年代
賞金女王
- 2000年: 不動裕理 – 120,443,924円 / 6回
- 2001年: 不動裕理 – 89,248,793円 / 4回
- 2002年: 不動裕理 – 95,690,917円 / 4回
- 2003年: 不動裕理 – 149,325,679円 / 10回
- 2004年: 不動裕理 – 142,774,000円 /7回
- 2005年: 不動裕理 – 122,460,908円 /6回
- 2006年: 大山志保 – 166,290,957円 /5回
- 2007年: 上田桃子 – 166,112,232円 /5回
- 2008年: 古閑美保 – 120,854,137円 /4回
- 2009年: 横峯さくら – 175,016,384円 /6回
- 回数はその年の優勝回数です。
- 不動裕理の時代: 2000年代初頭は日本の女子ゴルフ界において不動裕理の時代でした。彼女は2000年から2003年までの間に合計で33回のツアー優勝を果たし2003年には10回の優勝を成し遂げるなど驚異的な成績を残しました。
- 国際的な競争: 2000年代には韓国や台湾などのアジアからの選手が国際的な舞台で活躍し始めました。特に韓国の選手たちは数々の重要な大会で好成績を収め、女子ゴルフの競争を一層激化させました。
- 日本人選手の活躍: 不動裕理のほかにも横峯さくらなど日本人選手が国内外で活躍しました。
- 賞金の増加: 2000年代には女子ゴルフの賞金が増加し選手の収入も大幅に向上しました。これによりプロゴルファーとしてのキャリアを追求する選手が増え競争は一層激しくなりました。
不動裕理
プロフィール
- 出身地: 熊本県熊本市
- 生年月日: 1976年10月14日
- 学歴: 九州女学院中学校・高等学校(現・ルーテル学院中学校・高等学校)卒業
- 好物: グレープフルーツ、高菜
経歴・戦績
- 1996年: プロゴルファーテスト合格。同年12月「LPGA新人戦 加賀電子カップ」でプロデビュー戦初優勝。
- 2000年-2005年: 日本女子ゴルフツアーの賞金女王、マネークイーンの称号を6年連続で獲得。
- 2001年: 全米女子オープンに参戦し12位。
- 2003年: 年間10勝を達成し獲得賞金額は1億4932万5679円で男子賞金王を上回りました。
- 2004年: ツアー通算30勝を達成し日本女子ゴルフ史上最年少記録で永久シード権を獲得。宮里藍選手との一騎討ちを制し大会2連覇。
- 2011年: 「サイバーエージェントレディス」で優勝し日本女子ツアー通算50勝を達成。
- 2011年12月: 熊本県民栄誉賞受賞。
- 2024年4月: レジェンズツアー「太陽生命元気長生きカップ」で最終日10バーディー・ノーボギーのスコアで大逆転優勝しデビュー戦を飾りました。
その他
- 夫は不動産関連会社役員で一時期ツアーでキャディをしたこともあるそうです。
ゴルファーとしてのプロフェッショナルぶりとその強さから沢山の選手に慕われ模範とされています。
宮里藍
生い立ちとアマチュア時代:
- 1985年6月19日沖縄県国頭郡東村に生まれました。
- 兄弟姉妹全員がプロゴルファーであり、「宮里3兄妹」として知られます。
- 3歳でピアノを始め4歳でゴルフを始めました。
- アマチュア時代に多くの大会で活躍し注目を集めました。
プロ転向後
- 2003年/高校卒業後にプロ転向。高校生プロゴルファーとして史上初の記録を樹立。
- 2004年/プロデビュー戦で初優勝を果たしました。
- 2005年/日本女子オープンゴルフ選手権競技でプロとしての初優勝を達成。
- 同年女子ワールドカップで日本代表として優勝。
- 2005年/LPGAツアーの予選会に参加しトータル17アンダーのスコアで優勝米国ツアー出場権を獲得。
米国LPGAツアー参戦
- 2006年/米国LPGAツアーに本格参戦。世界ランキングで6位に入りました。
- 2009年/エビアン・マスターズで初の米国LPGAツアー優勝を果たしました。
- 2010年/開幕からの2週連続優勝を達成。シーズン5勝目を挙げました。
- 2012年/LPGAロッテ選手権で優勝。
引退後
- 2017年/現役引退を表明。
- 2018年/座親匠と結婚。
その他の活動
- 引退後はゴルフ界での活動を続け大会のアンバサダーやイベントに参加。
- 2021年に第1子の妊娠を発表し同年に第1子女児を出産。
宮里藍選手は日本と世界のゴルフ界で数々の記録を残し多くのファンに愛されています。
- 小渕恵三: 彼は1998年から2000年にかけて首相を務めその後の政権は森喜朗が引き継ぎました。
- 森喜朗: 彼は2000年に総理大臣として就任し続いて2000年から2001年、2001年から2003年の二つの内閣を率いました。彼の政権下では日本は経済的に厳しい時期を経験しました。
- 小泉純一郎: 2001年から2006年までの長期政権を持ちその間に多くの経済改革を実施しました。彼の政策は「小泉改革」として知られています。
- 安倍晋三: 彼は2006年から2007年に短期間首相を務め後に2007年から2008年に再度首相となりました。彼の政権下では安倍政権が推進した経済政策や外交政策が注目されました。
- 麻生太郎: 彼は2008年から2009年に首相を務めました。彼の政権下ではリーマンショックによる世界的な経済危機に直面しました。
- 鳩山由紀夫: 彼は2009年から2010年にかけて首相を務めました。彼の政権は比較的短期間でしたが民主党が初めて政権を担当したことが注目されました。
2010年代
賞金女王
- 2010-横峯 さくら 175,016,384円/6回
- 2011-アン・ソンジュ 127,926,893円/4回
- 2012-全 美貞 132,380,915円/4回
- 2013-森田 理香子 126,675,049円/4回
- 2014-アン・ソンジュ 153,075,741円/5回
- 2015-イ・ボミ 230,497,057円/7回
- 2016-イ・ボミ 175,869,764円/5回
- 2017-鈴木 愛 140,122,631円/2回
- 2018-アン・ソンジュ 180,784,885円/5回
- 2019-鈴木 愛 160,189,665円/7回
- 回数はその年の優勝回数です。
イ・ボミ
プロ転向
イ・ボミ(Lee Bo-mee)は韓国の女子プロゴルファーで2007年にプロ転向しました。
以下が彼女の主な経歴です。
人柄
イ・ボミ選手は彼女のゴルフ技術だけでなく明るいキャラクターと人柄でも知られています。
彼女は愛称の「スマイル・キャンディ」の通り常に笑顔を絶やさず周囲の人々に元気や喜びを与える存在です。
彼女のポジティブな姿勢や親しみやすさはファンやメディアから大きな支持を得ています。
彼女の人柄が女子ゴルフ界の人気を支え多くの人々に感動や希望を与えています。
経歴
- 2007年: プロとしてのキャリアをスタートさせ、KLPGA(韓国女子プロゴルフ協会)の下部ツアーであるゼニアツアーに参戦しプロ初優勝。
- 2008年: KLPGAツアーデビューしKLPGAツアーと並行してドリームツアーにも参戦。2勝を挙げて賞金ランク1位となる。
- 2009年: KLPGAツアーで初優勝。
- 2010年: KLPGAツアーで3勝を挙げ賞金女王に輝き、最多勝、最優秀選手、最小ストロークの4冠を達成。またJLPGA(日本女子プロゴルフ協会)のファイナルクォリファイングトーナメントに進出。
- 2011年: JLPGAツアーに参戦し初の賞金シード入り。
- 2012年: JLPGAツアーで初優勝を果たし計3勝を挙げ賞金ランク2位。
- 2013年: JLPGAツアーで2勝を挙げ賞金ランク7位。
- 2014年: 日本での拠点を神戸市に置きます。JLPGAツアーで3勝を挙げ賞金ランク3位。
- 2015年: JLPGAツアーで7勝を挙げ賞金女王となりました。日本と韓国の両ツアーでの賞金女王は史上初。
- 2016年: JLPGAツアーで5勝を挙げ2年連続で賞金女王。
- 2017年: JLPGAに入会し賞金ランク23位で7年連続のシード入りを果たす。
- 2018年: JLPGAツアーでの成績は83位。
- 2019年: JLPGAツアーに復帰し賞金ランク21位となり賞金シードに復活。同年12月に俳優のイ・ワンと結婚。
- 2023年: 日本ツアーから引退を発表。
彼女は長年にわたりKLPGAとJLPGAで活躍し多くのタイトルを獲得しました。
2019年8月「AIG全英女子オープン」優勝”渋野日向子”選手
彼女のプロとしての転機となった全英女子オープンでの優勝は日本中に衝撃を与えました。
特に最終日の逆転劇は彼女の冷静な判断力と勝負強さを示すものでした。
またプレー中にも笑顔を見せファンとの交流を大切にする姿勢から「スマイルシンデレラ」として国内外の注目を浴びました。
今後も彼女の活躍から目が離せません。
渋野日向子
プロフィール
- 生年月日: 1998年11月15日
- 出身地: 岡山県岡山市
- 所属: サントリー
経歴
- アマチュア時代からゴルフに親しむ。ソフトボールや軟式野球など複数のスポーツを経験。
- 2014年に私立岡山県作陽高等学校へ進学しアマチュア時代に優秀な成績を残しました。
- 2017年にプロ転向後スイング改造に取り組みながらも成績を上げJLPGAに参戦。
- 2019年の「AIG全英女子オープン」で42年ぶり2人目の海外メジャー優勝を果たし日本女子ゴルフ界に衝撃を与えました。
主な戦績
- 2019年5月: 「ワールドレディスチャンピオンシップサロンパスカップ」でJLPGAツアー初優勝。
- 2019年7月: 「資生堂 アネッサ レディスオープン」でJLPGAツアー2勝目。
- 2019年8月: 「AIG全英女子オープン」でメジャー大会初優勝。
- 2019年9月: 「デサントレディース東海クラシック」でJLPGAツアー3勝目。
- 2019年11月: 「大王製紙エリエールレディスオープン」でJLPGAツアー4勝目。
- 2021年10月:「スタンレーレディスゴルフトーナメント」でJLPGAツアー5勝目。
- 2021年10月:「樋口久子三菱電機レディスゴルフゴルフトーナメント」でJLPGAツアー6勝目。
受賞歴
- 2019年: 日本ゴルフトーナメント振興協会(GTPA)のルーキー・オブ・ザ・イヤーLPGAアワードの各種受賞。
特徴
- ドライバー飛距離が平均260ヤードを超える強気なプレースタイルで知られています。
- 書道の腕前も高く日本習字で初等師範免許を取得しています。
- ゴルフ場でもポケモンのピカチュウのヘッドカバーを愛用しています。
彼女の魅力と実力で日本女子ゴルフ界に新たな風を吹き込んでおり今後の活躍が期待される逸材です。
○○世代
黄金世代
- 誕生期間: 1998年4月~1999年3月
- 代表的な選手:
- 田中瑞希選手
- 天本ハルカ選手
- 畑岡奈紗選手
- 渋野日向子選手
- 小祝さくら選手
- 原英莉花選手
- 勝みなみ選手
- 大里桃子選手
- 新垣比菜選手
- 河本結選手
- 浅井咲希選手
- 植竹希望選手
- 高橋彩華選手
- 吉本ひかる選手
- 小滝水音選手
- 臼井麗香選手
- 西畑萌香選手
- 中西絵里奈選手
- 吉川桃選手
- カリス・デイビッドソン選手
- 小倉ひまわり選手
- 山路晶選手
- 木下彩選手
- 星野杏奈選手
- 松原由美選手
- 工藤優海選手
- 山田彩歩選手
- 新真菜弥選手
はざま世代
- 誕生期間: 1999年4月~2000年3月
- 代表的な選手:
- 稲見萌寧選手
- 菅沼菜々選手
プラチナ(ミレニアム)世代
- 誕生期間: 2000年4月~2001年3月
- 代表的な選手:
- 古江彩佳選手
- 西村優菜選手
- 安田祐香選手
- 吉田優利選手
新世紀世代
- 誕生期間: 2001年4月~2002年3月
- 代表的な選手:
- 笹生優花選手
- 山下美夢有選手
- 西郷真央選手
ユ二コーン世代??
- 誕生期間: 2002年4月~2003年3月
- 代表的な選手:
- 岩井姉妹
これらの世代はそれぞれの時代において女子プロゴルフ界を牽引し新たな才能を示しています。
彼女たちの活躍には目が離せません。
- 94代(2010~2011): 菅直人 /民主党代表(民主党・国民新党)
- 95代(2011~2012): 野田佳彦 /民主党代表(民主党・国民新党)
- 96代(2012~2014): 安倍晋三 /第二次内閣 自由民主党総裁(自由民主党・公明党)
- 97代 98代(2014~2020): 安倍晋三 /第三次内閣(同上)/第四次内閣
2020年代
- 稲見 萌寧 2020-21年 255,192,049円/9回
- 山下 美夢有 2022年 235,020,967円/5回
- 山下 美夢有 2023年 213,554,215円/5回
2021年8月7日 「東京オリンピック」銀メダル”稲見 萌寧“選手
初日の競技では70のスコアで16位タイでした。
2日目には65の好成績を収め首位のネリー・コルダに6打差の6位タイに浮上しました。
3日目も68のスコアで3位タイに浮上し首位のコルダとの差も5打差に縮まりました。
そして最終日稲見は65のスコアをマークし通算-16で競技を終了しました。
最終日の17番ホール終了時点で首位のコルダに一時並びかけましたが18番ホールでのミスにより同ホールでボギーを叩きコルダと同じ通算スコアに終わりました。
この状況下大会の競技規定により稲見とリディア・コが2位タイとなり順位決定プレーオフが行われることとなりました。
プレーオフでは稲見が最初の18番ホールをパーとしコがパーパットを外したため稲見が2位タイの座を確保し日本人選手として初めてのオリンピックゴルフ競技のメダルを獲得しました。
この快挙に対し日本女子プロゴルフ協会からはメダル報奨金として1000万円が贈られまた5年間のJLPGAツアーシード権が与えられることとなりました。
稲見 萌寧
稲見萌寧は1999年7月29日に東京都豊島区で生まれました。
彼女は日本の女子プロゴルファーであり楽天グループに所属しています。
稲見は2021年の東京オリンピックでゴルフ競技で銀メダルを獲得しました。
アマチュア時代には様々な大会で優勝しJLPGAツアーでも複数の大会でローアマチュアを獲得しました。
プロに転向後も成績は着実に伸びています。
2019年にはセンチュリー21レディスゴルフトーナメントでツアー初優勝を果たしその後も多くの大会で好成績を収めました。
2021年は特に輝かしい年でありJLPGAツアーで複数の大会で優勝し自身初のシード入りを果たしました。
主な戦歴
JLPGAツアー優勝
- 2019年7月28日 – センチュリー21レディスゴルフトーナメント
- 2020年10月11日 – スタンレーレディスゴルフトーナメント (プレーオフ)
- 2021年3月14日 – 明治安田生命レディス ヨコハマタイヤゴルフトーナメント (プレーオフ)
- 2021年4月4日 – ヤマハレディースオープン葛城
- 2021年4月11日 – 富士フイルム・スタジオアリス女子オープン (プレーオフ)
- 2021年4月25日 – フジサンケイレディスクラシック
- 2021年5月23日 – 中京テレビ・ブリヂストンレディスオープン
- 2021年8月29日 – ニトリレディスゴルフトーナメント
- 2021年9月12日 – 日本女子プロゴルフ選手権大会
- 2021年11月14日 – 伊藤園レディスゴルフトーナメント
- 2022年6月5日 – リシャール・ミル ヨネックスレディスゴルフトーナメント
- 2022年8月28日 – ニトリレディスゴルフトーナメント
LPGAツアー優勝
- 2023年11月5日 – TOTOジャパンクラシック
これらの優勝を含め稲見選手は日本のゴルフ界で多くの栄誉を収めています。
第99代 菅義偉 2020年~2021年
第100代 岸田文雄 2021年~
まとめ
いかがでしたか?今回は日本の女子ゴルフの歴史に関して綴ってみました。
参考になれば幸いです。